よく話が長いとか分かりづらいという人がいる。
端的に相手に分かりやすいように伝える。
海外と比較すると、とりわけ”日本”はこの”分かりやすく”というのを続けた結果今の状態になっているのではないだろうか。
英国やヨーロッパは階級社会が残っていたりするし、米国では階級とまではいかないが”資本家”という上流階級がいる。
これは私の憶測も入ってしまうのだが、こういう人達は多分普通の”庶民”とは全く違った場所で生活をしているではないだろうか?(独自のコミュニティというべきか)全員とは言わないが…。
しかし日本は違ったりする。
一部東京都港区などの所得水準が高い人が集まるエリアがある。そこですらいわゆる”資本家”や”貴族”のような人は限られてる。
他の地域でも仮に経営者(資本家)がいたとしても普通に”庶民”と同じような物を食べて同じようなところに住んでいるのではないだろうか?
そういった国民性の”日本”では発信(多数に対しての会話やコミュニケーション)は物凄く難易度が高い(つまり平均的な国民レベルが高い/地域の地主や医者「総じて資本家」が国民に与える影響)
しかもインターネットという情報過多の時代の中で”フェイクニュース”というのも存在する。
つまりリアルが存在する限り”多数”に分かりやすく伝えるなんてことはそもそも無理なのである。
例えばAIを使ってOSやブラウザを操作し各々が観たい、聴きたいと思っている映像や画像、音楽が手に入れば別なのだが”リアル”が存在する限りインターネットや画面越しの仮想空間は結局その中で閉じてしまう。
多分日本のマスメディア(テレビ局)はそれが分かっているからどうしても何かの”物差し”で判断せざるを得ないのだろう(視聴率)
ただ、政治家や企業の経営者、もしくは中間管理職などに就いていて大勢の前でのプレゼンテーションを行う者にとっては複数を相手にするわけなので各々捉え方が違う。
これは特に大企業などに勤めている人は痛感するのではないだろうか?(いわゆる部署同士の横の意思疎通(コミュニケーションの減退)
結局”分かりやすく”というのを突き詰めたメディアが今のテレビ局を中心とする(マス”大衆”メディア)だし、滅びそうになっている(観る人が減っているため)
一旦表題に戻ろう。
“感受性”…
つまり受け取る側をどうするか(視聴者)なのだろう。発信(アウトプット)の問題ではない気がする。
余談であるが元財務官僚の小幡績さんが何かの番組でぼそっと「結局日本は看護師などをコツコツ増やしていかないとダメ」と言っていたのを思い出した。
いつからか日本は「分かりやすい→単純→雑」このループに陥ってしまったのではないだろうか?(特にハイテク「ハードウェア・ソフトウェア」)
財務省の緊縮財政には全く賛成できないし異論はあるが小幡さんが言ってることも確かにそうだよなと納得してしまった。
時間は掛かるが”感受性”…これは人間がそれぞれ持つ特質性であり最も”個性”が現れるところでもある。
意識の中の”時間”は私達に何を映すのだろうか。
18時を過ぎた…夕飯の時間である。